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福岡地方裁判所小倉支部 昭和58年(わ)1093号 判決 1985年8月23日

主文

被告人両名をそれぞれ罰金一万円に処する。

被告人らにおいてその罰金を完納することができないときは、金二〇〇〇円を一日に換算した期間、その被告人を労役場に留置する。

訴訟費用はその二分の一ずつを各被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人らは、大韓民国籍を有する外国人であつて、北九州市小倉北区小文字二丁目八番三号に居住し外国人登録法に基づき外国人登録原票に登録を受けている者であるが

第一  被告人崔昌華は、昭和五五年一一月一八日、同区室町一丁目一番一号所在の北九州市小倉北区役所において、居住地を所轄する同区区長に対し、登録原票の記載が事実に合つているかどうかの確認申請をするに際し、登録原票及び登録証明書に指紋を押なつしなかつた

第二  被告人崔善愛は、最後に確認を受けた日から三年を経過する昭和五五年一二月二日前三〇日以内に、居住地を所轄する北九州市小倉北区区長に対し、登録原票の記載が事実に合つているかどうかの確認を申請しなければならないのに、これを怠り、右規定の期間を超えて昭和五六年一月九日までその申請をしないで本邦に在留した

第三  被告人崔善愛は、昭和五六年一月九日、前記北九州市小倉北区役所において、居住地を所轄する同区区長に対し、登録原票の記載が事実に合つているかどうかの確認申請をするに際し、登録原票及び登録証明書に指紋を押なつしなかったものである。

(証拠の標目)≪省略≫

(法令の適用)

被告人崔昌華の判示第一の所為は包括して昭和五七年法律第七五号(外国人登録法の一部を改正する法律、以下「改正法」という。)附則七項により同法による改正前の外国人登録法一八条一項八号、一四条一項に、被告人崔善愛の判示第二の所為は改正法附則七項により同法による改正前の外国人登録法一八条一項一号、一一条一項に、同被告人の判示第三の所為は包括して改正法附則七項により同法による改正前の外国人登録法一八条一項八号、一四条一項にそれぞれ該当するところ、各所定刑中いずれも罰金刑を選択し、被告人崔昌華については、その所定金額の範囲内で同被告人を罰金一万円に処することとし、被告人崔善愛については、判示第二の罪と判示第三の罪とは刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四八条二項により各罪所定の罰金の合算額の範囲内で同被告人を罰金一万円に処することとし、被告人らにおいてその罰金を完納することができないときは、同法一八条によりいずれも金二〇〇〇円を一日に換算した期間その被告人を労役場に留置することとし、訴訟資用は、刑事訴訟法一八一条一項本文によりその二分の一ずつを各被告人に負担させることとする。

(被告人、弁護人らの主張に対する判断)

第一  弁護人らの主張(以下弁護人らの主張として掲記するもののうちに被告人両名の主張も含む。)の要旨

一指紋押なつ制度の憲法適合性について

1外国人登録法(以下「外登法」と略称する。)に規定する指紋押なつ制度は、日本国憲法一三条並びに市民的及び政治的権利に関する国際規約(昭和五四年条約第七号、以下「国際人権規約B規約」という。)七条に違反する。

外登法一四条によれば、本邦に一年以上在留する一六歳以上(昭和五七年法律第七五号による改正前の外登法((以下「旧外登法」という。))一四条では一四歳以上)の外国人は新規登録(三条一項)、登録証明書の引替交付(六条一項)、登録証明書の再交付(七条一項)、または登録証明書の切替交付(登録原票の記載の確認、一一条一項)の申請をする場合には、登録原票、登録証明書及び指紋原紙(旧外登法一四条では指紋原紙二葉)に指紋を押なつしなければならないと定められており、さらに、外登法一八条一項八号によれば、同法一四条の規定に違反して、指紋の押なつをしなかつた者は一年以下の懲役若しくは禁錮又は二〇万円以下(旧外登法一八条一項八号においては三万円以下)の罰金に処する旨定められている。

ところで、指紋は、終生不変・万人不同の属性を有するところから、犯罪捜査に重要な地位を占めていることは常識化しており、指紋は犯罪と深く結びついて理解されている。そして、このことから、一般に指紋の押なつを求められることにより、犯罪者扱いをされているような不快感、屈辱感を抱き、人格を傷つけられたと思うのが自然の感情である。

また、指紋は、個人識別の最も有効な手段であつて、個人についての種々の情報のうちでも直接本人に結びついて最と価値の高いものであつて、本人の自由なコントロールが保障されるべきものである。このような私生活上の利益は、プライバシー権として、国民の私生活上の自由、幸福追求の権利の中に含まれ、憲法一三条によつて保障される基本的人権である。そして、このような基本的人権は、その性質上、日本国民にのみ保障されるべきものではなく、外国人にも等しく保障されるべきである(判例においても、憲法による基本的人権の保障は、権利の性質上、日本国民のみを対象としていると解せられるものを除き、外国人に対しても等しく及ぶものであると認められている。)。

したがつて、何ら合理的理由も、必要性もなく、外国人に指紋の押なつを義務づける外登法の規定は、まさに人権を侵害するものとして、憲法一三条に違反し、また、著しく品位を傷つける取扱いとして、国際人権規約B規約七条に違反し無効である。

2検察官は、この点に関し、外登法に規定する指紋押なつ制度の立法理由として、「外登法は外国人の居住関係、身分関係を明確ならしめ、もつて在留外国人の公正な管理に資することを目的として制定されたものであり、外国人の居住関係、身分関係を正確に把握するためには、登録されるべき外国人を誤りなく特定して登録し、かつ、在留する個人の外国人が登録された人物と同じであるか否かの同一人性を確認することが重要であるところ、当初は、人物の特定や同一人性の確認を写真のみに依存していた結果、二重登録等の不正登録が続出し、多数の不正登録証明書が流通し、登録証明書切替の都度、登録人口が減少するなどの事態を招来することとなり、このような不正登録等を防止し、登録の正確性を維持するため、昭和二七年の外登法制度にあたり、指紋押なつ制度を採用したものである。指紋の照合は、専門的な鑑識を要せず同一の指紋を肉眼で対照することによつて簡易かつ効率的に同一人性を確認することが可能であり、また、指紋は、最終的には鑑識によつて、その同一人性を絶対的なものとして確定しうるものであつて、極めて有効な手段である。」と主張する。

しかし、戦後の混乱期の特殊な社会状況に照らせば、二重登録その他不正な登録の防止と、指紋押なつ制度の採用とは関連性がない。すなわち、当時は食糧事情が極めて悪化していたころであり、登録制度と配給制度とが結びついていたことから、生存を保つために二重登録、不正登録をせざるを得ないような社会状況にあつたのであり、同時に物資の不足、科学技術の未発達等により登録制度自体が二重登録を簡単になし得る極めて杜撰なものであつたことにもよるのであつて、その後の生活状況の好転や三回にわたる一斉切替制度の実施により、外登法の指紋押なつ制度が実際に施行された昭和三〇年ころには、二重登録等の不正登録がほとんど淘汰されてしまつていたのである。

したがつて、指紋押なつ制度採用当時においてすでに不正登録の防止のために必要という理由はなかったものであり、仮に右制度採用当時にはその理由があつたとしても、現在では前記のような社会状況にはなく、また登録制度、登録手続も整備され、不正な登録証明書の交付・作出は不可能であつて、指紋押なつが不正行為の防止のために必要であるとする合理的理由は存しない。また、制度の目的が不正行為防止のために同一人性を確認することが必要であるというのならば、指紋による同一人性の確認の前提である指紋の押なつは、登録証明書の交付までの段階においてなされなければならないはずである。ところが、昭和三三年改正以後の外登法一四条五項は「‥‥指紋は、‥‥書き換えて返還される登録証明書の受領と同時に押すものとし」と規定しており、指紋の押なつは、明らかに、登録証明書作成交付の要件ではなくなつており、指紋の押なつは同一人性の確認手続とは切り離された規定内容となつているのである。このことは、既に外登法における指紋押なつ制度の目的が検察官主張のように不正行為の防止のために同一人性を確認することにあるのではなく、裏の目的は他にあつたことを示すものといわざるを得ない。

このことは、さらに、運用の実態についてみても明らかである。すなわち検察官の主張する制度目的からするならば、登録証明書の切替交付の申請などに際し、市区町村の担当窓口において、指紋による同一人性の確認作業がなされるはずであり、これが外国人登録制度の運用の根幹をなすべきものであるが、市区町村の担当窓口で行われている同一人性の確認は写真と申請者本人の顔の対照(あるいは、登録証明書などの各記載事項を検討する場合もある。)のみであつて、指紋の対比照合は全く行われていない。また、事務手続の準拠として法務省が各市区町村に配布している外国人登録事務取扱要領にも、本人確認については「指紋」という言葉が全く記載されていない。なお、市区町村の担当窓口には人的にも物的にも指紋照合の設備はない。

次に、法務省における運用の実態についてみても、指紋押なつ制度実施後、指紋原紙により指紋の換値分類作業をしていたが、昭和四五年に中止し、昭和四九年八月以降昭和五七年一〇月まで「既に新規登録等の際に指紋を押なつしたことがある場合には指紋原紙に押すべき指紋を省略できる」とし、この間法務省に指紋原紙は送付されていない(これについて、法務省は「法務省に送付される記載済原票に押捺されている切替年度ごとの指紋によつても同一人性の確認が可能であつた」と説明するが、昭和五五年八月の登録の切替((いわゆる⑬登録))からは新しい原票に移行したため少なくともこの時期までに原紙への指紋押なつ義務を復活させなければならなかつたのに、昭和五七年一〇月まで復活させなかつたのであり、右説明はつじつま合わせにすぎない。)。そして、法務省入国管理局登録課指紋係として現在実際に指紋関係の事務を担当する職員は係長と事務官各一名であつて、指紋によつて同一人性を絶対的なものとして確定し得る鑑識の技術・体制は法務省においても全く存在せず、指紋押なつ制度は有名無実化している。

検察官主張のとおり真に同一人性の確認を目的とするものであるならば、今日の進歩した印刷・写真技術により、運転免許証におけるようなビニールコーティング(写真を登録証明書自体に刷り込む方式)などを用いれば登録証明書の偽変造などを防止することができ、同一人性確認の手段として写真が指紋押なつに十分代替しうる(登録事務手続の経済等をも加味すれば、指紋にもまして有効な方法であるといえる。)のであり、現実に利用されない指紋押なつ制度に固執すべき理由はない。指紋押なつ制度は、その実施に際しての政府当局者の論文や大臣の答弁等からもわかるように、在日朝鮮人・在日韓国人に対する治安対策として考えられたものであり、現実にも市区町村で保管中の登録原票は指紋を含め、警察官が自由に閲覧、複写、写真撮影を行い、外国人にかかる犯罪捜査のためだけではなく、外国人の動向調査のために利用されている。その根底には、外国人(とくに朝鮮人・韓国人)を国家管理し、犯罪人として取り扱おうとする思想がながれている。

結局、制度の趣旨と運用の実態とは完全にかけ離れ、不正登録防止のための同一人性の確認という説明は、もはや指紋押なつ制度の存在を合理的に根拠づけることができない。

3指紋押なつ制度は、憲法一四条及び国際人権規約B規約二六条に違反する。

憲法一四条は「法の下の平等」を保障するが、立法その他国政において人を平等に取り扱うべきことは近代憲法の原理として本条のうちに包含されていることであるから、本条の趣旨は当然外国人にも適用されるべきである。とりわけ、在日朝鮮人・在日韓国人は、かつて日本帝国主義の植民地政策において強制連行がなされた歴史的経緯、および現在もなお日本に居住しているその生活実態に照らしてみれば、日本社会に居住する少数民族として「法の下の平等」が保障されるべきである。

外国人登録は、外国人の居住関係及び身分関係を明確にするためのものであるところ、日本国民の場合、居住関係及び身分関係を明らかにするものは、住民基本台帳法に基づく住民票及び戸籍法に基づく戸籍である。そして、外国人登録にあたつては指紋押なつを強制されるが、住民票や戸籍関係の届出に際しては一切指紋はかかわりがない。すなわち、外国人は、指紋の押なつ義務(及び拒否した場合の刑罰)に関し、日本国民と明らかに異なる取扱いを受けている。

そこで、右差別についてみると、前記2で明らかなとおり、外登法上の指紋押なつ制度を維持すべき必要性が存在しないのであるから、指紋の採取に関し日本国民と外国人とを区別する理由がない。したがって、指紋押なつ制度は、なんらの合理的理由がないのに、外国人を日本国民と差別するものであつて、法の下の平等を規定した憲法一四条及び国際人権規約B規約二六条に違反し、無効である。

なお、本件について具体的に考察すると、日本に完全に定着し、日本人と同一の生活実態を有する外国人に対しては、その生活実態に即したふさわしい処遇を行うべきであり、その一人である被告人らに対し日本国民と区別して指紋押なつを強制することは、許されないというべきである。

二指紋不押なつの行為の構成要件該当性について

判示第一及び第三の行為について、被告人両名は、外国人登録原票については指紋押なつを求められておらず、これについての指紋押なつ義務は発生していない。

また、被告人崔昌華は、外国人登録証明書については、指紋の押なつを留保したにすぎない。

三公訴権の濫用について

判示第二の行為についての起訴は公訴権の濫用である。

本件は確認申請の時期を三八日間遅延したというものであるところ、確認申請を遅延する例は多いが、三八日間程度の遅延で起訴された例は知らない。なお、本件については、北九州市は告発していない。

また、被告人崔善愛は大学に在籍しており、期限に確認の申請をするには帰省を要し、学業に支障がでるため、冬休みに帰省した際に確認の申請をすればよかろうと考えていたものであつて、いわば、当時の同被告人の立場からしてやむをえざる行為である。

このような軽微かつやむをえざる行為を起訴するのは、同被告人が指紋押なつを拒否したことに対する報復的措置であると考えられ、公訴権の濫用である。

第二  当裁判所の判断

一(1)  指紋押なつ制度の憲法適合性を判断する前提として、考察するに、指紋は、万人不同・終生不変という特性を有し、個人を識別するのに最も有効な人の内部的な身体的特徴であり、したがつて、それは一つのプライバシーとして保護されるに値するものであるから、何人もみだりにその意に反して指紋をとられない自由ないし権利を有するというべきである。したがつて、国家が権力を行使するにあたり合理的理由がないのに個人の指紋の押なつを強制することは、国民の私生活上の自由を保障する憲法一三条の趣旨に反し、許されないものといわなければならない。また、一般に自由を侵害されることにともない不快感等をおぼえるが、とくに、指紋はその特性から歴史的に犯罪捜査と固く結びつき、社会生活上指紋の押なつを求められるのは犯罪捜査に関わる場合が通例であることから、強制的に指紋の押なつを求められるときは、犯罪捜査と関係がない場合であつても、その者が不快感ないし屈辱感をおぼえ、名誉感情を害されたと感じるのが一般と認められる。したがつて、正当な理由も必要もないのに指紋の押なつを強制することは、個人の尊厳を傷つけるという意味でも憲法一三条に違反し、また、その強制の手段や方法のあり方によつては、国際人権規約B規約七条に触れる場合もありうると考えられる。

次に、憲法第三章の諸規定による基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、わが国に在留する外国人に対しても等しく及ぶものと解されるところ、憲法一三条による、みだりにその意に反して指紋をとられない権利の保障についても、その権利の性質に照らし、日本国民に対してのみならず外国人に対しても及ぶものと解するのが相当である。

(2)  次に、憲法一四条は「すべて国民は、法の下に平等であつて、…」と規定し、直接には日本国民を対象とするものではあるが、法の下における平等の原則は、近代民主主義諸国の憲法における基本的な原理の一つとしてひろく承認されており、国際人権規約B規約二六条及び世界人権宣言七条にも同趣旨の規定があることに鑑みれば、憲法一四条の趣旨は特段の事情の認められない限り、在留外国人に対しても類推適用されるべきものと解するのが相当であつて、もし、在留外国人が、合理的理由なく差別的な取扱いを受けたときは憲法一四条及び国際人権規約B規約二六条に違反すると解せられる。

二外登法上の指紋押なつ制度(被告人らの本件各所為に適用される法条を含め、在留外国人に指紋押なつ義務を定める諸規定をいう。―以下同じ)の合憲性について

1外登法は、本邦に在留する外国人の登録を実施することによつて外国人の居住関係及び身分関係を明確ならしめ、もつて在留外国人の公正な管理に資することを目的として制定され(一条)、本邦に在留する外国人は、入国時または出生時等から一定期間内に外国人登録の申請義務があり(三条)、また、登録証明書の切替交付にあたり三年ごとに登録原票の記載が事実に合つているかどうかの確認申請義務があり(一一条)、右各申請に際し、弁護人ら主張のとおりの指紋押なつ義務を規定している。したがつて、右の諸規定は、わが国に在留する外国人に対して、個人の指紋に関して有する私生活上の自由ないし権利を制限するものということができる。

2そこで、以下、外登法上の指紋押なつ制度が、日本国憲法一三条ないしは国際人権規約七条に違反するか否かについて検討してみる。

(1) 法務省入国管理局長作成の「外国人登録法上の指紋押なつ制度について」と題する書面(写)、国会の各委員会議事録(写)及び亀井靖嘉の裁判官に対する供述調書(写)によれば、外登法が昭和二七年に制定されるにあたり、指紋押なつ制度を採用した経緯については、昭和二二年に制定された外国人登録令においては、登録の際の外国人の特定や、登録証明書の切替等に際しての同一人性の確認手段としては写真等に依存していた結果、幽霊登録や二重登録が続出し、また、写真の貼り替えなどの方法による登録証明書の偽造、変造も容易に行われ、登録証明書の不正行使が横行するなどしたため、これらの不正を防止し、外国人の登録を正確にするために採用されたもので、同制度採用後は不正登録や不正使用などの事例は激減した旨の説明がなされている。

ところで、我が国に在留する外国人に対する法制上の処遇を如何にするかは、国政上極めて重要な課題であり、在留外国人の出入国はもとより、行政上の各種施策を適正に施行するためには、在留外国人の居住関係や身分関係など在留の実態を適確に把握することがまず基本的に行われるべきであり外登法はこの基本に則つて制定されている(同法一条)。そして、同法の右目的を達成するためには、氏名、住所、生年月日などの登録事項が正確に登録されるべきことはもとより、登録外国人の正確な特定、及び登録された外国人と在留外国人の個別的な同一人性を正確に確認しうることが最も重要なことである。しかしながら、外国人の場合、その所属国の国情や法制もそれぞれ異なり、登録事項の正確性も客観的な担保に乏しく、その特定や同一人性の確認は必ずしも容易ではない。

一方、指紋は、終生不変・万人不同という特性を有することから、本人を特定し、同一人性を確認する資料としては、現在、最も優れた科学的資料である。

これらの諸事情を併せ考察し、さらに、指紋押なつ制度の実際上の運用において、登録された指紋の照合により、同一人性に関する疑問の解明や、不法入国者や不法残留者の摘発等に効用を発揮するなどの実績も窺われることに照らせば、外登法上の指紋押なつ制度は、前述の説明のとおり、同法一条の趣旨に則り、外国人の特定及び同一人性の確認に資するに必要な手段として採用されたものであると認めることができるとともに、右制度の存在には十分な合理的理由と実質的必要性があることを肯定することができる。

したがつて、右制度の実施により、在留外国人に対して、指紋の押なつを強制する結果となり、個人としての指紋に関する私生活上の自由ないし権利に制約が加えられることになるが、前認定のとおり、それは、十分な合理的理由と実質的必要性に基づくものとして、憲法一三条に反しないものと解する。けだし、憲法一三条による保障も、公共の福祉のために必要ある場合は一定の制約を受けることは同条の規定上明らかであるからである。

なお、以前の申請の際、登録原票等に指紋の押なつをしている場合には、その後の切替交付申請の際における指紋の押なつは、同一人性の確認のために求められるものであるが、すでに、以前の指紋押なつにおいて、当該外国人の指紋は明らかとなつている以上、後の切替交付申請の際の指紋押なつ自体によるプライバシー侵害の度合は低いといえる。

そして、右指紋押なつ制度の具体的内容をみれば、原則として、左手人さし指のみの指紋を求めるものであつて、また、その強制のあり方も刑罰による間接強制に留まり、刑事訴訟法に認められるような直接強制は許されていないのであるから、前記立法の合理的理由及び実質的必要性に照らせば、国際人権規約B規約七条の趣旨に反するものでもない。

(2) 弁護人らは、写真につき、いわゆるビニールコーティング等の技術を利用すれば、外国人登録証明書の偽造や変造はできないから、「より制限的でない他の選びうる手段」として指紋押なつに代替させることができると主張するので、付言すれば、なるほど、写真を同一人性確認の手段として代替させる場合には、そのことにより個人の私生活上の自由ないし権利を侵害する程度は低いと考えられるし、また、近時の写真技術等の進歩により、ビニールコーティング等の方法を用いれば、偽造、変造も極めて困難になると考えられるが、人の容貌自体、一定不変のものではなく、また、近親者間においてはもとより、他人間においても、容貌の酷似する例はしばしばあるし、同一人であつても、撮影条件や撮影技術による変化、時間の経過や調髪様式の異同、負傷や整形手術などによる容貌の変化も十分ありうるのであつて、最も重要な個人の特定や同一人性の確認という立法目的達成に資するためには、その効能の点で指紋に比して遙かに劣るといわざるを得ないから、指紋押なつ制度の合理性や必要性が否定されるものではない。

(3) 弁護人らは、また、外国人登録令施行当時、二重登録や幽霊登録が続出したのは終戦後の混乱期にあつて食糧不足などの社会的事情が背景となつて生じた現象であつて、昭和二七年の外登法制定当時は、すでに国民の生活も安定し、二重登録などの不正登録も影をひそめていたのであつて、ましてや昭和三〇年に指紋押なつ制度が実施されたころには、敢えて同制度に俟つ必要もなかつたのであり、したがつて、二重登録等の不正行為の激減は、検察官主張のように指紋押なつ制度の実施とは関係がなく、むしろ、同制度採用の真の目的は外国人とりわけ韓国人の行動に対する警察的監視にあつたものである旨主張しているが、外国人登録令下に頻発した不正登録等の原因が、食糧難など当時の混乱した社会情勢にあつたとしても、そのような不正行為が容易に行われ得たこと自体、登録外国人の特定や同一人性の確認の手段・方法が不十分であつたことを示すものでもあり、その後における不正登録の激減が食糧事情の好転など社会情勢の安定化に負うところが大であるにしても、指紋押なつ制度施行後において、登録指紋の照合による、不正登録や密入国、不法残留などの摘発の事例が報告されていることに鑑みれば、指紋押なつ制度の採用が前述の不法行為の激減と無関係とはいえないばかりか、指紋押なつ制度が登録外国人の同一人性の確認を含め、登録外国人の正確な特定、ひいては、外国人登録の正確性の維持という外登法の立法目的達成に実効のあることが認められ、指紋登録及びその保管に関する一連の運用規定も外登法の立法目的に副つており、弁護人主張のような他の目的への利用が企図されているとは認めがたい。

(4) さらに、弁護人らは、外登法の指紋押なつ制度の運用の実態において、在留外国人に押なつさせた指紋を同一人性の確認のために全く利用することなく、登録した指紋が外国人に対する一般的犯罪捜査や動向調査のために利用されており、指紋押なつ制度の立法理由ないし制度趣旨とはかけ離れて有名無実化しているので、右制度を維持する合理的な根拠を欠くと主張している。

そこで、第三回公判調書中の証人安部喬の供述部分、第五回公判調書中の証人岩崎則昌の供述部分、第八回公判調書中の証人大野憲彦の供述部分、法務省入国管理局長作成の「外国人登録法上の指紋押なつ制度について」と題する書面(写)、弁護人提出の各参考資料(とくに、亀井靖嘉の裁判官に対する供述調書写、国会の各委員会議事録写等)により検討してみると、市区町村の担当窓口において登録証明書の切替交付などを行う際、その場で新たに押なつさせた指紋を保管中の登録原票などに押されている従前の指紋と照合して同一人性を確認するという作業を行つていない市区町村が多いことが窺われるが、一方、担当窓口において、写真その他により同一人性に疑問がある場合には、当該原票等を法務省に送付してその確認を求め、最終的には指紋照合により同一人性の確認がなされていることも認められ、指紋の押なつが行われることにより当該外国人の正確な特定がなされることそれ自体が、同一人性の確認を担保していることが窺われるし、市区町村の外国人登録窓口における担当者の執務の指針とされている外国人登録事務取扱要領によれば、指紋の押なつは鮮明になされるべきことが指導されており、北九州市小倉北区長作成の外国人登録原票の写二通(検37号)に押なつされている被告人らの各指紋を見ても明らかなとおり、鮮明に押なつされた数個の指紋を比較対照してその異同を識別するには必ずしも専門的な技術を要しないので、市区町村の担当者においても右同一人性の確認が可能な仕組みになつていることなどに照らせば、結局、外国人の同一人性に疑問が生じた場合には事後的にでも指紋照合を行うことによつて最も確実に同一人性の有無を確定することができ、このことから、ひいては、二重登録や外国人登録証明書の不正入手等の不正行為に対する抑止的効果も大きなものがあると考えられ、指紋登録事務の実態が外国人の同一人性の確認という制度目的と全くかけ離れているとの主張は当らないし、指紋押なつ制度が有名無実化しているともいえない。

また、指紋押なつ制度が実施された当初は、法務省においては、市区町村から送付されてくる指紋原紙について換値分類作業と同一人性確認作業が行われていたが、昭和四五年には換値分類作業が中止され、昭和四九年八月から昭和五七年一〇月までの間、法務省の通達で「既に新規登録等の際に指紋を押なつしたことがある場合には指紋原紙に押すべき指紋を省略できる」とし、そのため市区町村から指紋原紙の送付も省略され、指紋原紙に基づく同一人性確認作業が事実上中断された状態にあつたことも認められるが、右中断状態にあつても、同一人性に問題の生じたような事例については、個別的に指紋照合による同一人性の確認を行つていたことが認められ、これまた、指紋制度の目的である同一人性の確認を放棄したものとは認めがたい。

さらに、犯罪捜査などにおける利用については、外登法上の秩序を自ら乱す犯罪の捜査においては同一人性確認のため指紋そのものを用いる必要があり、捜査機関からの照会に対する回答にあたり登録原票写などを送ることもあるが、その他の一般刑法犯罪などの捜査においては、たとえ刑事訴訟法一九七条二項に基づく照会であつても、指紋の部分を除いて回答することになつており、また、登録原票や指紋原紙に押なつされている指紋の大量的利用、すなわち、犯行現場に遺留された指紋と、登録原票などから大量に集められた指紋とを照合し、その中から一致するものを捜し出して犯人を割り出すという利用方法は許されていないし、過去において、一部市区町村において、保管中の登録原票の指紋押なつ欄を含め、警察官らが閲覧することを黙認した事例が認められるが、これをもつて直ちに指紋押なつ制度の目的が在留外国人ことに在留韓国人に対する行動調査に利用することにあるとは認めがたい(一部事例とはいえ、前記のような事例は個人のプライバシーの保護の重要性に対する配慮を欠き、指紋押なつ制度の本来の趣旨に悖るものというべく法務省ないし市区町村において十分な配慮がなされるべきであろう。)。

3次に外登法上の指紋押なつ制度が憲法一四条ないしは国際人権規約B規約二六条に違反するかどうかについて検討してみる。

(1) 外登法上の指紋押なつ制度は在留外国人の居住関係及び身分関係を明確ならしめるためのものであるが、日本国民の場合、身分関係や居住関係を明らかにするための戸籍法や住民基本台帳法に基づく届出などにおいては、弁護人らの主張するとおり、指紋押なつ義務を課せられてはおらず、在留外国人が指紋の押なつを求められない自由ないし権利について日本国民と区別され制限を受けていることは明らかである。

ところで、憲法一四条の規定の趣旨は、前記のとおり外国人に対しても類推されるべきものであるが、他面、各人には経済的、社会的その他種々の事実関係上の差異が存するものであるから、法規の制定またはその適用の面において、右のような事実関係上の差異から生ずる不均等が各人の間に発生しても、その不均等が一般社会観念上合理的な根拠に基づき必要と認められるものである場合には、やむを得ないところであり、これをもつて憲法一四条の法の下の平等の原則に反するものとはいえないと解するのが相当である。

(2) そこで、右外登法の指紋押なつ制度について、日本国民との不均等が一般社会観念上合理的な根拠に基づき必要と認められるか否かについて検討する。

現在の国際社会においては、国家の主権の存在を前提としているのであつて、国家との関係において、その国家の構成員である国民とその国家の構成員でない外国人との間に基本的な地位の違いがあることは否定することができない。したがつて、わが国に在留する外国人の居住関係及び身分関係を明確にし、もつて在留外国人の公正な管理に資することを目的とする外国人登録制度を設け、その登録の正確性を維持するため指紋押なつ制度を採用したことも、前認定の立法の理由と必要性を前提にする限り、その結果、在留外国人が日本国民と異なつた法規制をうけることも合理的な根拠に基づく不均等であつて、憲法一四条及び国際人権規約B規約二六条に違反するものではないと解する。

(3) なお、弁護人らは、いわゆる定住外国人、とくに日本に完全に定着し、日本人と同一の生活実態を有する外国人に対しては、その生活実態に即したふさわしい処遇を行うべきであり、日本国民と区別して指紋の押なつを強制するのは憲法一四条に照らし許されないと主張している。

この点は、直接には外国人登録制度自体の問題であると考えられるが、たしかに、定住外国人、ことにわが国が永住許可を与えた外国人に対しては、そうでない外国人に対するものとは異なつた他の制度を適用することも十分考えうるが、右は立法裁量の問題であつて、前記のとおり国家の存在を前提とする以上、国との関係において日本国民と外国人とは基本的地位が異なるのであるから、いかに生活の実態を同じくし永住許可を有する外国人であつても、居住関係や身分関係を明確にすることについて日本国民と異なる規制を受けることはやむを得ず、したがつて外登法を定住外国人に適用し外登法上の指紋押なつ義務を課すことは憲法一四条に反するものではない。

三指紋不押なつの行為の構成要件該当性に関する主張について

前掲「証拠の標目」挙示の各証拠によれば、被告人らの本件各登録事項確認申請の際、小倉北区役所係員は、被告人らに対し、それぞれまず外国人登録証明書を示して指紋押なつを求めたところ、被告人崔昌華においては係員に対し「娘が押さないから私も考える。」旨をのべて指紋の押なつをせず、被告人崔善愛においては係員に対して「指紋は押さない。」旨をのべて押なつを拒んだことが認められ、当時被告人両名とも、過去の経験から、本件各切替交付申請に際しては、一連の手続として登録原票及び外国人登録証明書に指紋の押なつを求められることを知つていたと認められ、当該係員もまたいずれの場合も、被告人らに対し、当該申請に必要な一連の手続として外国人登録証明書及び登録原票への指紋押なつを一体的なものと理解して指紋の押なつを求め、事実上の手順として、まず外国人登録証明書を示したものと解するのが相当であり、登録原票についても黙示的に指紋押なつを求めていたというべきである。

また、外登法一八条一項八号は「第一四条の規定に違反して指紋の押なつをせず」と定めていること、また指紋不押なつを刑事罰の対象とするのは、個人の同一人性の確認に資し、登録証明書の不正使用を防止するためにある指紋制度の円滑な実施を確保するという行政目的達成のためであると解するのが相当であるから、当該申請にかかる登録証明書の受領と同時に定められた書類に指紋を押さないことにより、指紋の押なつを留保した場合を含め指紋不押なつの罪は成立し、指紋押なつ拒否の意思表示は右罪の成立要件ではないと解すべきである。

よつて右弁護人らの主張はいずれも理由がない。

四公訴権濫用の主張について

第一一回公判調書中の被告人崔善愛の供述部分及び同被告人の検察官及び司法警察員に対する各供述調書によれば、同被告人は昭和五五年一二月当時愛知県内の大学に在籍し、同県内に居所を有していたが、同月二日の外国人登録証明書の切替交付申請期限よりも遅れるが、同月下旬に大学の冬休みに帰省する折に右切替交付の申請をしようと考えていたところ、同月中旬被告人崔昌華から「指紋の押なつについて、家族で正月に話し合いたいから切替交付の申請はその後にしなさい」旨求められてこれを承諾し、昭和五六年一月九日右切替交付の申請をするに至つたことが認められるが、右事情だけでは、被告人崔善愛の切替交付申請の遅延がやむを得ざる事情の下での行為とは到底考えることができない。

そして、本件外国人登録証明書切替交付不申請は昭和五六年一月九日の切替交付申請時まで続いたところ、右切替交付申請時において指紋の押なつをしなかつたことが判示第三の罪に該当するのであるから、本件不申請の行為は判示第三の指紋不押なつの行為と密接に関連すること、第三回公判調書中の証人安部喬の供述部分及び第五回公判調書中の証人岩崎則昌の供述部分によれば、北九州市では外国人登録証明書の切替交付不申請につき一か月程度の遅延で告発対象とする運用がされていること、前掲「証拠の標目」挙示の各証拠、その他弁護人提出の各証拠を検討しても、被告人崔善愛の指紋不押なつの所為と併せて、本件不申請の所為についても、これを起訴するにあたり、検察官が指紋押なつ拒否に対する報復的意図を有していたことは全く窺われないことからすれば、判示第三の指紋不押なつについての公訴提起とともになされた判示第二の不申請についての公訴提起は、公訴権の濫用であるということはできず、弁護人らの主張は理由がない。

五以上の次第で弁護人らの各主張はいずれも理由がなく、これを採用することができない。

よつて、主文のとおり判決する。

(畑地昭祖 濱﨑 裕 藤田 敏)

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